乗りつぶしタイムマシンでは、任意の日付の「乗りつぶし歴史マップ」を表示することができます。
日本で最初に鉄道が開業したのは1872年。「乗りつぶし歴史マップ」で、 日本の鉄道の歩みを振り返ってみましょう。
※ 官設以外でも大小様々な鉄道会社が路線を開設していますが、資料の都合から対象を1980年代以降の国鉄線及びJR線の前身となるものに限定しています。 なお、路線名は原則として現在の名称を使用しました。
※ 今回の特集では、開発中の新機能を使用してページ、マップを作成しているため、現在のサイトでは作成できないコンテンツを含みます。
1872年10月14日(太陽暦)、現在の東海道本線新橋~横浜間に日本で初めて鉄道が開業し、式典が行われました。 初日に乗車したのは明治天皇一行だけ。一般旅客の乗車は翌日からとのことなので、日本で最初の完乗達成者は明治天皇とその随行者ということになるでしょう。
ただし、実際には4か月前の6月12日に品川~横浜間が仮開業しているので、この時点で「完乗」を達成した人も大勢いるはずです。 おそらく、鉄道に乗ることを目的に利用した人も多いでしょうから、ある意味で「乗りつぶし」はこのときから行われていたとも言えそうです。 乗りつぶしオンラインでは、6月12日をこの区間の開業日として収録しています。
開業当時の新橋駅は、今の新橋駅と別の場所、別の線路上にありました。初代新橋駅は1914年に汐留駅と改称されて貨物専用の駅となり、旅客輸送が廃止されます。 その後、国鉄末期の1986年に汐留駅は廃止されています。したがって、現在の新橋~品川間は、開業当時と別の区間といってよいでしょう。
一方、終点の横浜駅も、今の横浜駅ではなく、根岸線桜木町駅に当たります。今の横浜駅の場所に駅ができたのは東海道本線全通からしばらく経った1915年。 このとき、初代横浜駅が桜木町駅に改称され、今の横浜駅にその名を譲っています。150年前の開業当時の区間に乗ろうというときは、 横浜駅では降りず、桜木町駅まで行くのをお忘れなく。
鉄道開業から10年後の1882年です。路線はさぞ伸びたと思いきや、まだ数えるほどしかありません。
最初に開業した区間の終点は横浜(現・桜木町)のまま。この時点では関東~関西間の鉄道路線の経由は未定であり、中山道経由が有力であったため、これ以上西に向けて建設する必要性は薄かったのでしょう。 東海道経由での建設が決定するのは1886年のこと。翌1887年にようやく国府津まで延伸しています。
関西では関東に遅れること2年の1874年に東海道本線大阪~神戸間が開業、3年後の1877年に京都まで延伸します。 さらに1880年には琵琶湖の水運を利用できる大津(初代。現在の浜大津付近)まで開業していますが、大津~京都間は現在と異なり南に大きく迂回する経路で、1899年に切り替えられて廃止されたため、このマップには収録されていません。
一方、琵琶湖の東岸では、東海道本線沿線から日本海への最短ルートとして敦賀を目指す鉄道の建設が進み、この時点では現在の北陸本線長浜~木ノ本間が、東海道本線の一部として開業しています。
北海道では1880年に手宮~札幌間(その後の手宮線・函館本線)が開業。このマップの直後の1882年11月13日には岩見沢まで延伸しています。
これらの路線はいずれも官設で開業しましたが、このペースでは到底整備が進まないことは明らかであり、民間資本による鉄道整備を企図し、1881年に半官半民の「日本鉄道」が設立されています。 日本鉄道の最初の路線である上野~熊谷間が開業したのは1883年、この時点ではまだ未開業です。
さらに10年が経過した1892年、路線は一気に延伸しました。
東海道本線は1889年に全通しています。現在と経由が異なる部分がいくつかあります。 まず目立つのは国府津~沼津間で、現在の御殿場線を経由しています。丹那トンネルが開通して熱海経由となるのは昭和に入ってからの1934年です。 また、関ケ原~近江長岡間(1899年切り替え)、膳所~京都間(1921年切り替え)も経由が異なるため、マップ上では路線が途切れています。
1881年に設立された日本鉄道は、民間とはいえ国策による会社であり、驚異的な早さで路線を伸ばしています。1891年には東北本線上野~青森間が全通。 鬼怒川越えの宇都宮~矢板間(1897年切り替え)、岩切~利府~品井沼間(新線は1944年開業、旧線は1962年廃止)では現在と経路が大きく異なります。 日本鉄道では、中山道経由であれば重要な経路であった高崎線に当たる区間も、1884年までに開業しています。
その先、現在の信越本線に当たる区間は、中山道経由の路線及びその資材運搬線として着工されたもので、そのまま官設鉄道として開業にこぎつけています。 1888年には横川~軽井沢間を除いて直江津までの区間が開業、残る碓氷峠越えの区間はこのマップ翌年の1893年に、急勾配を上り下りするためのラックレールを使用したアプト式鉄道として開通し、 関東と日本海側が鉄道で結ばれるようになります。
高崎線と接続し、東北本線と交差して水戸に向かう現在の両毛線、水戸線もすでに開業しています。水戸には、常磐線より先に水戸線経由で鉄道が到達したことになります。 この区間は1889年に水戸鉄道が開業させていますが、1892年には日本鉄道に買収されています。日本鉄道は1890年に日光線も開業させ、東日本の路線網を着々と築いていきます。
北海道に目を向けると、官設及び北海道炭礦鉄道により、函館本線が砂川まで伸び、幌内線(岩見沢~幌内)、歌志内線(砂川~歌志内)とともに 小樽への石炭輸送ルートを形成しています。
さらに石炭輸送ルートは太平洋側へも伸び、1892年に北海道炭礦鉄道が室蘭本線の室蘭(現・東室蘭)~岩見沢間を開業させています。
私鉄による鉄道の開業は西日本でも進みます。1891年までに関西鉄道が草津線、関西本線(四日市~柘植間)、紀勢本線(亀山~津間)を開業させ、 このマップの3年後の1895年には名古屋に到達します。その後も関西本線、片町線、和歌山線に相当する区間を開業させ、名古屋と関西圏を自社路線のみで行き来できる路線網を形成していきます。
現在の山陽本線を開業させた山陽鉄道は、路線の延伸の真っ最中であり、1892年10月14日には、三原(現・糸崎駅)まで到達しています。
九州では、九州鉄道が1891年に鹿児島本線の門司(現・門司港駅)から熊本まで達したほか、鳥栖から分岐して佐賀まで、現在の長崎本線の一部に当たる区間を開業させています。 なお、小倉~黒崎間は現在の経由と異なり、今の経由に切り替わったのは1902年です。
四国でごく短区間だけ開業しているのは現在の予讃線、土讃線の丸亀~多度津~琴平間で、1889年に讃岐鉄道により開業しました。